H社長との別れ
ニュースレターを100号まで発行することができました。MG研修では、100回受講すると人間が変わるといいます。なので、101号から大きく変わろうとと思っていましたが、それよりもMG仲間のH社長のことを書かせていただくことにしました。
数年前からMGを学び始め、私のMGにも何度か参加をしてくれたH社長の話です。H社長は今年50歳です。MGを学び始めたころのエピソードです。私のMG研修で「商社をやりたいのです」と言ってこられました。私は「それならやってみたらどうですか?」と返答をしました。
休憩時間に、H社長が商社やることで、他の参加者が受けるメリット、デメリットを熱く語っていました。彼の熱量で、他の参加者が、同意をして、商社ができるようになりました。私のHさんの印象は、冷静です。意外と、やりたいことは熱量を持ってやり切る人だと見なおしました。
昨年の春から、仲間と一緒に環境整備活動を始められました。昨年の秋ごろに見学をさせていただきました。H社長の職場は、金属加工の会社です。金属を削るために油を大量に使います。その油が床に落ちています。
以前の制服は、油汚れが目立たないように、制服の色は濃いグレーでしたが、この環境整備の活動をきっかけに、白色に変えられました。わざわざ汚れが目立つ白色に変更されたので、不思議に思って理由を聞いてみると、「床に寝っ転がっても汚れない会社を目指す」とおっしゃっいました。目指す目標の高さに、環境整備への取り組みの本気度が違うなぁと感心したのを覚えています。
このH社長が先月突然脳梗塞で亡くなりました。お通夜に参加をさせていただきました。そのあと、数名のMG仲間で、H社長を偲ぶために、食事へ行きました。H社長のエピソードを一言言ってから乾杯しようということになりました。
ある方が、「Hさんは、いつもニコニコしていた。」と言いました。他の人も「そうだ。そうだった。」と激しく同意をしました。また、さまざまなエピソードを聞くことができ、彼の人柄が偲ばれました。
帰りの電車の中で、改めてHさんのことを考えていると、先ほどのエピソードを思い出しました。みんなが「Hさんは、ニコニコしていた」と言ってたというは、Hさんは、誰に対しても同じ印象を与えていたということに気が付きました。
Hさんは取引先や目上の人はもちろんのこと、後輩、従業員、仕入れ先さん、立場に関係なく誰に対しても、ニコニコして、優しく接していたのだと思いました。そのときの感情を出すこともなく、相手の立場に関係なく、一貫した態度をしていたんだと思います。立派な人だったと改めて思いました。
H社長は、MGでは、自分がやりたいことを、熱量を持ってやり切る。環境整備の活動では、高い目標を達成するために、白の制服に変えたこと。目的が明確になればやり切る人だと思いました。
多分、H社長は、環境整備でもMGでも、もっとやりたかったことが、あったんだろうなぁと思いました。彼の思いを想像すると、残念でなりません。
H社長とは、亡くなる直前まで、環境整備の見学会のことで、メールのやり取りをしていました。これからも、MGやいろんな勉強会で会えると思っていました。しかし、もう彼とは会う事は出来ません。彼の死によって、今あることが永遠に続かないことに気づかされました。
両親、妻、子供がいつも健康でいてくれていること。従業員さんが会社に元気に来てくれていること、もっと言えば、歩けること、話せることはありがたいことです。この不自由でない状態が幸せであることを見落とし、当たり前にしていたことに気が付きました。
それどころか、彼らにありがとうと言うこともく、自分の希望に沿わないことに文句を言ってることもありました。当たり前がありがたいことだと思いました。
人間は、二度死ぬと杉井さんから教えていただきました。一度目は、その人がなくなった時です。二度目は、精一杯生きていた時のその人の記憶が忘れられた時です。その時に、人は完全に死んでいくと聞きました。
H社長との思い出が消えないうちは、本当の意味で死んでいないと思うのです。だから定期的に、H社長との思い出をみんなで集まって語り合う機会を設けたいと思います。H社長が、教えてくれた大切なこと、していただいたことを当たり前にしない。そして少しでもお返しする。この実践をしていきたいと思います。
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