人生を良くするために大事な基礎
100号まで発行することができました。大した内容ではないですが、読んでくださり、応援をいただける方がいることで、ここまで続けてこれました。ありがとうございます。
昨年、熊本市の小学校の教諭が、子供たちにトイレの床に落ちた尿を素手で雑巾を使って拭かせました。その行為が精神的苦痛を与えたということで処分されたという記事があったそうです。
その記事を、見て皆さんは、どう思われますか? 賛同されますか? やりすぎだと思われますか?
私の知り合いが、石川県七尾市に住んでおられます。今回の地震で、被災され避難所にいます。その知り合いの方が、この記事を見て、私の師匠に以下のハガキを送られ、それをもとに師匠がブログを書かれました。その一部を紹介させていただきます。
便器ではなく、トイレの床も素手では掃除できない・・・。ますます汚れたものは手をつけない、嫌なことはやらない、物を大切にしないというような方向に教育が進んで行ってしまうようで、少し心配になりました。
少し違うかもしれませんが、私たちが暮らす避難所は衛生面では清潔とは言えない状況があります。それでも協力して環境を整えたり、我慢したりしている人たちは、あきらめて下さいというようにも感じました。とても残念でやりきれない思いがしています。(ここまでがハガキの内容、以下の太字がブログの内容です)
私たちが生きていく為には、ごみも出ますし、生き物も殺します。誰かがこの汚い仕事、面倒な仕事をやってくれています。ところが、この事実を認めずに、綺麗なところだけで生きていこうとしている人が増えてきている気がしますが、それが教育なのでしょうか?
MGを経験された方なら、共感してもらえると思いますが、会社でも同じように、あの面倒な資金繰り表をきちんとまとめるという仕事をしてくれている人がいます。それぞれ従業員さんが、与えられた職務をやっています。
経理のように、直接的に収益を上げるわけではないですが、必要な仕事をしてくれている人が会社にはいます。その仕事を、処分した教育委員会のように、トイレの床を素手でぞうきんで拭くようなものとして扱ってないでしょうか?
さらに、師匠が「一番最初に身に着けた方が良い基礎は、○○だ」と書いてられます。皆さんはどんなことだと思いますか? その答えは
「感情に流されず、やりたくないこともやる力」です。多くの人が、年に一つもモノにできないのは、能力の問題ではなく、気分に流されてやるべきことを継続しないからだと書いてられました。
正月に、今年は○○しようと決めたことを毎日やり切っているか? と聞かれれば、徹底していないと答えるでしょう。私は、目標をその日の感情でやる、やらないを決めていると思いました。そしてやらない日が続けば、その目標はなかったことにしてたように思います。師匠の言う通り、これでは目標に到達するはずはないです。
MGをやった方なら分かると思いますが、初めてやった時は、多くの方が面倒だ。もう二度とやりたくないと思ったことでしょう。
しかし、何度か繰り返すことで、決算が早くなり、ゲームも上手になっていきます。面倒なことをやり切ることで、充実感を感じたり、達成感を感じた方もいらっしゃると思います。
汚いこと、面倒くさいなどやりたくないことを、人は生きていく為には、やらなくてはいけないときがあります。
その地力をつける為にも、普段から、面倒な事、人が嫌がることを、できる限りやっていきたいと思います。その練習として私は複写はがきを続けています。
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